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2010年4月:カテゴリー

日米安保両国の思惑

1945年、7年続いた第二次世界大戦が終戦となり日本は敗戦国となりました。


日本を占領する中心にあったアメリカは、日本を非武装化して軍事的に無力な存在にしようと考えていました。しかし、アメリカとロシアによる冷戦が始まり、1950年には朝鮮戦争が勃発。


中国、ソ連の国土にきわめて近い位置にある日本は、アメリカにとって軍事的にも重要な拠点であり、日本でいつでも自由に軍事的な行動がとれるようにしておきたかったのです。


一方日本は、冷戦の対立構造の中で軍事的に何かをするのは無理であり、日本は経済大国として発展する道を選択しました。


日本の復興、そして経済発展を実現するには、できるだけ軽武装で、つまり軍事費にあまりお金をかけずに他国からの侵略を防ぐ必要があったのです。


アメリカ軍が日本に駐留していれば、それが侵略への抑止力となり、日本は軽武装で国を守れる!


こうした両国の思惑が一致し、日米安保は成立したのです。



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日米安保の概要

ここでは、日米安保の概要を見ていきましょう。

日米安保の概要を簡潔に言うと・・・・・
「アメリカ合衆国が日本を防衛する義務を負い、日本がそのために、また、極東における国際の 平和と安全のために、アメリカ合衆国に施設・区域を提供する義務を負う」
という約束のことです。


現在有効な日米安全保障条約は、
前文、本文10か条と末文で構成されています。


第1条 平和の維持のための努力
第2条 経済的協力の促進
第3条 自衛力の維持発展
第4条 臨時協議
第5条 共同防衛
第6条 基地の許与
第7条 国連憲章との関係
第8条 批准(ひじゅん)
第9条 旧条約の失効
第10条 条約の終了



日米安保の考え方

戦後60年以上も経ち、日本は経済的にも自立しているはずの一国家です。
現在も他国の軍を駐留させ、保護してもらっているという状態は、世界的に見ても非常に珍しいことです。


では何故、現在も日米安保条約を継続する必要があると言われているのでしょうか。


外務省による、現状の日米安保の考え方は以下のとおりです。


▼前提
・日本の安全は、独力では守り得ない。
・日本の安全は、地域の安全とつながっている。


▼日米の共通認識
・日米の協力関係はアジアにおける重要な柱。
・日米安保体制はアジアの安定と世界の平和にとって必要不可欠。



日米安保のメリット

日米安保が現在も継続されていることによるメリットについてまとめてみます。


日本にとっての最大のメリットは、自衛隊の装備や人員を増強せずに、世界最強レベルの兵器及び訓練された米兵が代わりに守ってくれることでしょう。


1960年の新安保条約では、日米共同防衛が明文化され、第5条にアメリカの対日防衛義務が定められています。


日本を取り巻く国際環境は、北朝鮮によるミサイル発射や核実験などが騒がれているように、未だに不安定な要素があります。


アメリカの「核の傘」に入ることにより、抑止力が働いているといわれています。


*「核の傘」とは・・・・・
自らが核兵器を持たずとも、安全保障条約を締結している他国が核兵器を保有してれば、その核兵器によって核抑止力が得られるという考え方。



日米安保のデメリット

日米安保はメリットばかりではありません。
ここでは逆に、日本にとってのデメリットと言われている部分を見ていきましょう。


アメリカ軍が駐留しているということで、アメリカを敵視する国から日本も標的にされ、巻き込まれる可能性があることです。また、アメリカの国家戦略、特に軍事戦略の中に日本が組み込まれて、軍事に関するあらゆる面においてイニシアティブ(=主導権)を完全に握られてしまっています。


国際政治上でも、日本は実質的にアメリカの監視下に置かれているイメージを持たれているようです。


アメリカ兵の犯罪処罰においても、日本が不利な立場に置かれているということは、ニュースなどで伝えられているのでご存知の方も多いのではないでしょうか。


アメリカ軍に頼ってしまっているために、日本独自の軍事技術がなかなか育たないということもあります。



日米安保の協議

「日米安全保障協議委員会」は、日本とアメリカの安全保障政策を決める閣僚級の協議機関です。


メンバーは日本の外務大臣と防衛大臣、米国の国務長官、国防長官の計4人で、通称 「2プラス2」、「SCC」などと呼ばれています。


日米安保条約の第4条においても「日米安全保障協議委員会」は、協議の場として定められています。


「日米安全保障協議委員会」は重要な節目に開かれ、これまでに日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しや沖縄米軍基地の整理・縮小に関する日米特別行動委員会 (SACO) 合意などが行われました。



日米安保に関連する協定など

日米安保条約の締結後も、両国首脳による対談、協議などが重ねられ、協定(*1)が定められたり、共同宣言が発表されたりしています。


大枠の日米安保に付随した、より具体的な内容が取り決めされています。
主なものを見ていきましょう。


▼日米地位協定(1960年)
新日米安保条約第6条に基づき、締結された行政協定。
日米安保条約の目的達成のために、日本に駐留するアメリカ軍との円滑な行動を確保するため、アメリカ軍による日本における施設・区域の使用と日本におけるアメリカ軍の地位について規定したもの。


日米防衛協力のための指針(1978年)
旧ガイドラインとも呼ばれている。
日本とアメリカが防衛上の作戦協力をするときの基本的な枠組みを定めたもの。
日本有事の際の、日米共同の対処については決められたが、日本以外の極東における事態については研究課題とされた。


日米安全保障共同宣言(1996年)
日米安保に基づく防衛協力関係の再確認および今後の具体的な施策などを盛り込んだ宣言。協力関係の目標をアジア・太平洋地域の安定と繁栄に拡大し、日米防衛協力のための指針の見直しや沖縄米軍基地の整理・統合・縮小の推進などを行うことを決定。


日米防衛協力のための指針(1997年)
新ガイドラインとも呼ばれている。
平時、日本有事、周辺事態の3つの段階についての日米の協力を定めたもの。


(*1)協定とは・・・・・
国際法上、効力などは条約と同じだが、厳重な形式をとらず、内容にも双方の意思がより反映されているもの。



日米安保に関わるキーパーソン

日米安保に関わる人物は多数いますが、条約調印時の日本の総理大臣を紹介します。


▼吉田 茂(よしだ しげる)
第45・48~51代内閣総理大臣 戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。
1951年日米安保条約に調印。
日米保障条約にたった一人で署名した。
条約調印の責任を一身に背負い、他の全権委員たちを安保条約反対派の攻撃から守った。


▼岸 信介(きし のぶすけ)
A級戦犯容疑者であったが、戦犯不起訴となり後に復権。
第56・57代内閣総理大臣に就任する。
1960年6月に新安保条約に調印。
翌月には、安保闘争の混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職。




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