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2010年5月:カテゴリー

日米安保条約署名50周年

1960年に旧日米安保条約を改定し、現行の日米安保条約が署名されてから2010年1月19日 で50周年を迎えました。


この記念日に、鳩山総理とオバマ大統領はそれぞれ談話を発表しました。


同時にクリントン国務長官、ゲイツ国防長官、岡田外務大臣、北澤防衛大臣の4名、いわゆる 「2+2」の閣僚も共同発表を行いました。


日米両国は、日米安保が50年間に果たしてきた役割を評価するとともに、日米両国の安全と 繁栄とともに、地域の平和と安定の確保にも不可欠な役割を果たしていると確認しました。それが今日、そして将来にわたっても重要な意義を有することも確認しました。


各マスメディアもこのニュースを取り上げ、政府だけでなく国民も「日米安全保障条約」について再考するきっかけとなりました。



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日米安保の本質、意義の変化

「日米安全保障条約」50年の歴史は、条約改定や新たな協定を結ぶなどして、時代の変化とともに本質や意義を変化させ現在まで継続してきました。


大きな変化は、1991年にソ連が崩壊したことで、アメリカとソ連の対立関係を前提としていた日米安保体制の意義が大きく見直されたことです。


1996年には日米安全保障共同宣言が出され、「日米安保体制の21世紀の役割は、日本の防衛とアジア・大平洋地域の安定維持のための基礎であり、そのために日米の防衛協力は欠かせない、必要なものである。」というものでした。


その後現在に至るまで、日米防衛協力の強化が図られるようになり、日米安保体制は現段階で 必要不可欠と考えられています。


しかし、これからの日米安保体制については、世界や日本の情勢を踏まえ、再考する必要が生じています。



密約問題

50年以上続いた自民党政権から民主党政権に変わり「密約問題」が取り沙汰されるようになりました。


「日米安全保障条約」に関連する条約や協定などのように国民に知らされているものではなく、日米間で秘密裏に交わされた取り決めがあると言われています。


今回外務省の調査対象となったのは4件の「密約」です。


(1)安保改定時の核持ち込み(1960年1月)
「日米安全保障条約」改定時に、核を搭載した艦船が日本に寄港する場合は、事前協議の対象外とする。


(2)米軍の自由出撃(同)
現在休戦状態にある朝鮮戦争に関し、在韓の国連軍が攻撃を受けた場合に備え、米軍が事前協議なしに在日米軍基地から出撃することを認める。


(3)沖縄への核再持ち込み(1969年11月)
有事に当たって沖縄の米軍基地に核兵器の再配備を認める内容。


(4)沖縄返還時の現状回復費の肩代わり(1971年6月)
沖縄返還に際し、米軍基地跡地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりするとした取り決め。



「極東」の解釈

1960年、新しい「日米安全保障条約」を日本が批准するための安保国会が始まり、「日米安全保障条約」第6条の「極東」の範囲が論戦の中心となっていました。


「日米安全保障条約」第6条(極東条項)に出てくる「極東」とはどこを指すのでしょうか?


1960年の政府統一見解としては、"大体においてフィリピン以北、日本及びその周辺地域"と、定義しました。周辺地域には、韓国及び中華民国の支配下にある地域もこれに含まれています。

一方で、必ずしも前記の区域に局限されるわけではない。と、政府は見解を示しています。

「極東」という定義域のない言葉によって、のようにでも解釈できてしまい、状況に応じて柔軟に決めることができてしまいます。



片務協定と言われる理由

「日米安全保障条約」が片務(へんむ)協定だと言われることがあります。


片務協定とは・・・・・
契約当事者の一方だけが義務を負うことです。


アメリカ側は、「日米安全保障条約」第5条によって、日本を防衛する義務を負っていますが、日本側はアメリカに対してその義務を負っていません。


これによって、米政府や米国民の中には「日米安全保障条約」を不平等条約であると言って、日本に対してそれ相応の義務や責任を負わせるべきだ、といった意見があります。



思いやり予算

「思いやり予算」とは、防衛省予算に計上されている在日米軍駐留経費負担の通称です。


1978年、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部を日本側が負担すると決めたことから始まりました。


日米地位協定の枠を超える法的根拠のない負担に対して、円高ドル安などによってアメリカの負担増を考慮し「思いやりの立場で対処すべき」などと答弁したことから、「思いやり予算」と呼ばれるようになりました。


「思いやり予算」の内訳は、在日米軍基地職員の労務費、基地内の光熱費・水道費、訓練移転費、施設建設費などです。

日本の「思いやり予算」負担額は、30年間で5兆円超にものぼり、米軍駐留経費の負担額は日本が世界一となっています。



旧安保条約時代(1951年~59年)

日本が、敗戦後の占領下から独立国として国際社会に復帰するための対日講和会議がアメリカのサンフランシスコで開かれました。これが「日本国との平和条約」(通称:サンフランシスコ平和条約)です。


この講和会議の1時間後、日本とアメリカの代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移し、「日米安全保障条約」を締結しました。


「日米安全保障条約」には吉田茂首席全権のみが単独で署名しました。吉田は同行した池田勇人蔵相に対して、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する。」と言ったといいます。


同日に締結したこの2つの条約によって、日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰しました。


この「旧日米安全保障条約」では、日本への防衛義務が不明確であったり、国内の内乱にアメリカが介入する余地があったりと、独立国扱いされていないものでした。



新安保条約時代(1960年~90年)

「旧日米安全保障条約」では、日本が独立国家扱いされていなかったり、日本への防衛義務も不明確であったりと不満の残る内容でした。


アメリカは、日本国内で広まる反米感情を沈め、アメリカ陣営に引き留めるためには、日本を平等なパートナーにするべきだと考えました。


1958年頃から自由民主党の岸信介内閣によって改定の交渉が行われ、1960年に「新日米安全保障条約」調印。


「新日米安全保障条約」の改定のポイント
1.内乱に関する条項は削除。
2.日米共同防衛を明文化。
3.在日アメリカ軍の配置・装備に対する両国政府の事前協議制度の設置。
4.日本のアメリカへの派兵義務はなし。


この改定により「新日米安全保障条約」は、より平等なものになったと言われ、現在も継続されています。




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