旧安保条約時代(1951年~59年)
日本が、敗戦後の占領下から独立国として国際社会に復帰するための対日講和会議がアメリカのサンフランシスコで開かれました。これが「日本国との平和条約」(通称:サンフランシスコ平和条約)です。
この講和会議の1時間後、日本とアメリカの代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移し、「日米安全保障条約」を締結しました。
「日米安全保障条約」には吉田茂首席全権のみが単独で署名しました。吉田は同行した池田勇人蔵相に対して、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する。」と言ったといいます。
同日に締結したこの2つの条約によって、日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰しました。
この「旧日米安全保障条約」では、日本への防衛義務が不明確であったり、国内の内乱にアメリカが介入する余地があったりと、独立国扱いされていないものでした。
この講和会議の1時間後、日本とアメリカの代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移し、「日米安全保障条約」を締結しました。
「日米安全保障条約」には吉田茂首席全権のみが単独で署名しました。吉田は同行した池田勇人蔵相に対して、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する。」と言ったといいます。
同日に締結したこの2つの条約によって、日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰しました。
この「旧日米安全保障条約」では、日本への防衛義務が不明確であったり、国内の内乱にアメリカが介入する余地があったりと、独立国扱いされていないものでした。